昔から「何ひとりで笑ってんの?」と言われるのが嫌だった。
面白い事で笑うのにそこに誰か一緒にいるかどうかとか関係なくないか?と
あと、そこで泣くの?とか、そこでテンション上がる?とか
誰これ?知らない人しか出てなくてつまんないとか、何これ?知らない曲とか
誰かが評価してないと評価できんのか。自我は無いんかと。
ずっと思ってきた。そうやって生活していく中で最近霜降り明星の粗品が動画で、面白くないという指摘に対して「まわりの笑いとかがついてないとどこで笑っていいかわからんタイプ?」「お笑いっていう自分の感性だけで判断できる芸術やのにまわりに合わせてるやん」と返しているのを見た。
本当にそれなって思った。
お笑いにしても音楽にしても漫画にしても、芸術作品というのは自分の感性で判断するもので、決まった正解が無いからこそ面白いのに。
最近何かの感想を誰かの評価を見てからでしか判断できない人が目立つ気がする。
話は少し横道に逸れるが
少し前、こいつ有名レビュアーが言ってた感想とかSNSでよく見た感想しか喋らんな~と思っている知り合いと話していて、相変わらず口から出る言葉全部ネットで見たやつや~と思いながら話してたんだけど、お互いが共通して見ていた作品があって、その気に入らなかった部分の話をしていて、相手の発言に対して、ん?こいつキャラの名前読み間違えてる?音で聞いてたら間違えるはず無いし、わざと間違えてボケてる様子もないし?と思っていたら、話していくなかで、相手が実は見ていなくてと言いだして唖然とした。作品を見ずに感想や情報だけを見て見た判定して、文句まで言っているのかと。
正直かなり軽蔑した。こいつとはもう趣味の話とかしたくないなと思うくらいに。
ただこいいう人って結構いるんだろうなと思う。
感想を簡単に発信し、簡単に見れる時代。話を合わせるため、流行りの乗るため、作品を自分で見ずに人の感想を自分のものにしてしまう人が沢山いるのであろう。
見てないなら見てないでいいから、話す前に聞いた話でしかないんだけどとか前置きしてほしい。いかにも見た提で話さないでほしい。
だからか、最近はそういう視聴層に制作側も合わせなくてはいけないのか、はいここ泣き所です!!はいここで笑ってください!!と、いかにもな演出が増えている気がする。正直そういうのは冷める。でもそういう時代なんだな~と悲しく感じる。
そういう人が増えるとそういう作品も自ずと増えていくだろう。
悲しい。芸術ってそうじゃないだろって。
書きたい事をまとめずにそのまま書いたらまたまとまらなくなちゃった。
でも伝えたいことはただ一つ、何が好きで何が嫌いかは、それを見た自分だけのものだから、人がどうとかは関係ないよって事。
好きどうしで繋がれていたSNSが最近、まわりに合わせなきゃいけない現実世界と変わらなくなってて窮屈って話でした。
お後はよろしくないけど終わり!