こんばんは。ギンです。
春ですな。ちょっと前まで出勤時間はまだ暗くて、職場に着くあたりで明るくなっていたのが、もうすっかり出勤する時には明るくて、季節感にはわりと疎めだけど、春の訪れを実感する。
春といえば出会いと別れ。3月は特に別れの比率が高め。来月からは新しい場所で活動するって知人の方が沢山いた。弟も高校を卒業した。
諸行無常って感じだ。何かの終わりをいろいろ感じてノスタルジー。
つい最近、推しの的場華鈴が高校を卒業した。昔からの追っかけではないから、めでたいね!とかは思いつつも、ついに高校卒業かーとか、そういうのはないのだけれど、卒業って言葉にちょーっと敏感になってるから、
推しもいつかはグループを卒業する時、アイドルを卒業する(辞める時)が来るのかな。とか、そういう事を考えてしまった。
虹コンの動画についてるコメント欄を見ていたら、このメンバーのうちに武道館行ってほしい!ってのを見つけて、より一層思ってしまった。卒業してるメンバーも沢山いるし。
的場はリーダーだし、恐らくまだ卒業するにしても先の話だとは思うけど、先というだけで、終わりはいつか来る。
いままで追ってきたコンテンツはどちらかといえば二次元を中心のコンテンツだったから、人気な事もあり、わりと息の長いものが多かったから幸いな事に、終わりが来たというモノはあまりない。
しかし、二次元コンテンツに比べ、リアルのアイドルはめちゃくちゃ息の長いものではないと思う。アイドルを辞めたところで、別の活動をしてても応援はするけど、その姿を見る事ができるかはわからない。
極論、縁起でもない話だけれど、命ある者である限り、突然の死、そこまでいかなくとも致命的な事故、がいきなり訪れるかもしれない。そんな事がなくとも、本人が終わりといえば終わりは突然やってくる。
本当に、先だというだけで、それがいつ来るかわからない。その上、確実に訪れる。
さっき、終わりが来たものはあまりないと書いた通り、少なからずありはした。その時の喪失感はとてつもなかった。コンテンツだけでなく、人の別れとかも。
僕は感情の浮き沈みが激しい。好きになると気持ちが高まり過ぎるし、それを失った時はすごく沈んでしまう。天国から地獄だ。
だから、それもあり、好きになったら、好きになりすぎたら、離れて沈んだ時に耐えられないから、少し離れてしまう癖がついてしまった。
でも好きなのにそれを追求できないモヤモヤから、もうスパっと絶ってしまう事もある。
これは、何かを好きになる上では避けられない事だ。
出会うという事はいつか別れるという事も同時に受け入れるという事だ。はじめるという事は、同時にいつか終わるという事も受け入れるという事だ。世にあるものは全て有限だ。終わりは何にでも訪れる。
だったら何もはじめない方がいいのか、何も好きにならない方がいいのか?
これはジョジョの奇妙な冒険の四部に出てくる吉良吉影というキャラクターなのだけれど、僕も一時期こういう思考になった事がたるし、若干今もそう思うところはある。
このキャラクターの思考以外にも、激しい感情の変化をしない生き方や、いずれ終わりが訪れるのに、果ては意味のないものになるのに何故抗う?みたいな思考をいろんな作品、(Fateやエヴァンゲリオン等)人を通じて見てきた。
でも、そういった者達は基本、打ち倒される側だ。
僕は変化のない者に共感している側だから、打ち倒される事を悲しみを覚えるのだけど、同時に、打ち倒す側の考え方に心を動かされる。
果ては悲しみが待っているから、何もしない方がいいのか。
違うと思う。限りあるからこそ輝くんだとか、そこまで強くは考えられないけど、好きが高まってる瞬間が最高に楽しいんだもの。
今を楽しむ。先に何も無くとも、いずれは悲しみを生むにしても、それこそがやる事の意味だと思う。
たぶん、訪れる悲しみは新たな楽しみを見つけて忘れる事で乗り越えていくのだろう。
それ自体もすごく悲しい事だけど。
それが人生なのかなって。オタクはすぐポエムみたいにする。まあブログだから許してくれ。
そんな事を思った今日なのであった。
恐らく、ワニの影響やろ?って思われるであろう。
否めない。