戦場ヶ原、蕩れ

これはネタバレなのだけど、ギンという人間は考え方がコロコロ変わる。これから綴る文章は「それ前に言ってた事と矛盾してない?」となる事間違いなし。いや、もっと言うと今回のだけでも途中で考えが変わって、出発点と着地点がめちゃくちゃズレてるかもしれない。僕は一度書いたものを書き直したりしない。したとしても書き直してる間にまた考えが変わって結局着地点は変わっている。どうかその辺はライブ感で楽しんでほしい。

限りなくこんばんは寄りなおはこんばんちは、ギンです。ひらがなばっかりで読み難いね。

前置きが長くなってしまった。しかしながら、わりと重要な事で、今回はその、考え方がコロコロ変わるのをを良しとするという内容である故。

ごめん!バンナムフェスの感想じゃないんだ!

僕は最近アマゾンプライムビデオで物語シリーズを見返している。

とても好きな作品なのだ。そのくせ見たのはセカンドシーズンまでなのだけれど。

そのセカンドシーズンの最後の話が好き。恋物語

わりと今の自分の生き方を大きく変える話になってる気がする。

僕は物事を要約するのが苦手だから、恋物語を見てない人には伝わらない文章かも。ごめんね。

僕は恋物語を見て「戦場ヶ原ひたぎの様に生きたい」と思った。

見た当初からじわじわ思い続けて、最近またその気持ち強くなってきている。

それまでの僕は千石撫子羽川翼の様な生き方をしていた。倫理的に道徳的にそうあるべき生き方、親だったり教師だったりに教えられたままに生きてきた。

その分、数々の人生における選択を人のせいにできた。間違ったのはそうあるべきと言ってきた人達のせいと。そうであった頃はそれが当たり前だったから気付かなかったけど、今思うと、楽な生き方だったんだなって思う。

子供の間は、なんか上手くいかないなと思いつつもその生き方で生きていけた。

でも大人になるに連れて、自分の考えを持つ事が求められる様になった。

いままでそれをしてこなかった分、それはとても難しかった。

どうなりたいとかなんてなかった。どうあるべきかでしか考えてこなかったから。

それに加え、倫理的道徳的そうあるべきも通用しなくなってきた。言ってる事は正しいけど、それはその場では適切ではないという場面に沢山直面した。学校にいれば、面識上は正しければ許されたけど、社会じゃ許されなかった。正しさよりパワーであった。

ある種学校はそういう教えられた事を鵜呑みではなく自分なりに咀嚼した者がヒエラルキーの上位に位置していたし、そういう通過儀礼だったのかもしれない。

それに学校も卒業しそうなあたりに気付いて、もう完全に手遅れ。仕事も人間関係も上手くいかない。

普通に生きていくのがしんどいし、自分のアイデンティティが揺らいでいくのも辛かった。なぜ生きている、何のために生きているのかと。

生きているのは普通に考えてコスパが悪かった。そこに意思がなく、ただ生存するなら、コスパが全てだ。

それのために生きていくって理由でもなければ。

なかったんですな。

シュガーソングとビターステップの歌詞が刺さる(唐突)。

だから、僕はそういうのを辞めたいと思った。

正しくなくとも自分で選択し、その責任を自分で持つ様な戦場ヶ原ひたぎの様な生き方がしたいと思った。書いてて思った、話が飛躍しすぎである。ごめん。中間の文章を考えるのも苦手なんだ。キングクリムゾンでも使われたと思っていてくれ。その間の文章はディアボロだけが認知できる。結果だけ楽しんでくれ。楽しくはないか。

まあつまりそういう事である。

 

だから最近はそうあるべき、植え付けられた理想像に沿うのではなく、どうしたいかを考える様にしている。(出来ているとは言っていない)。

そうあるべき者であったからこそ受けていた恩恵もある。したいように生きるというのは、それらを捨てるという事でもある。それに依存していたから正直それはめちゃくちゃ怖い。でもそうしたいと思ったから、そうしたいと思う。

なんかそうしたら生きていく実感とか張り合いがでてくるのかなって。

いろいろ説明不足ではあるがあらかた満足したし、今日はここまで。

ちゃんとした文章を作るのも、あるべき姿だと思うので、ここは自己満足様のブログだから話もブツ切っちゃうもんね。

もちろん、やりたい様にやるのは勝手だけど、それを認めてもらえない場合もあるというのもわかってる。

というかそれは倫理的道徳的に生きてきてもあった事だし慣れてる。

そうであっても、選んでいたい。

 

というお話でした。

 

なんというまとまりのなさw